今年の夏に再度周遊 to NAGANO 15 旅の終わりと日常と、、、
旅館を出て雨の中、
帰宅する迄が、旅、
道中、寄り道もまた楽し、、、

途中、カミさんが寄りたい所あると、
この辺に諏訪大社があるから、御参りしていきたいという事で、
雨の中、、、
諏訪大社←公式サイト

長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
上社 (かみしゃ)
本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山)
前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川)
下社 (しもしゃ)
秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居)
春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)
上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。
なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。
創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。
『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。
また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。
社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。
Wikipediaより抜粋
そしてそこからも近し、
一昨年も来た、諏訪高島城
もちろん、100名城スタンプ目的
入城してからの捺印、少し城内見学仕方なく、よろしく、

高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、
400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、
諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきた。
高島城は諏訪氏の居城として知られ、
諏訪湖に突き出した水城で、日本三大湖城のひとつに数えられている。
地盤が悪かったためか、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺き。
また、城内に温泉が引かれていた珍しい城で、
導水管やそれを支える石枡が残っているということ。
現在は高島公園として整備されており、復興天守が建てられており、
最上階からの眺望は素晴らしく、眼下に諏訪湖が広がり、
天候がよければ富士山を見ることができます。
30分ほどでここを後に、
近くにもう一つお城があるというので、
雨の中、
そして次なる目的地、高遠城へ
息子曰く、近くにと言ってましたが、
何せ平面上の地図の距離感、
この山超えてその先なので、
全然近くではなかった、

うっそうと茂る、森の中にあるこの城跡
もののけが顏を出しそうな、息をひそめこちらをうかがっているようで、、、

独り訪れていた女性に出くわした、
その人はまだ二十代であろう、こんな山奥の城跡に興味を持つとは
高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継の居城として知られていますが、
武田信玄によって攻め取られ、
武田氏にとって高遠城は信濃への進出拠点として、
後年には織田氏・徳川氏に対する重要な軍事拠点として重要視され、
信玄は山本勘助に大規模な改築を命じ、
秋山信友、武田勝頼、武田信廉(逍遙軒)、仁科盛信と武田氏の重臣や
一族が城主を務めました。
江戸時代には高遠藩の藩庁となり、内藤清枚などが城主を務めました。
現在は石垣や空堀などが残されており、国の史跡、日本100名城に選ばれています。
明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。
高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、
今では全国でも有数の桜の名所、
本丸の老木はこの時植えられたもので、
4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに
若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、
淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。
また、秋にはタカトオコヒガンザクラ独特のほとんど紅葉せずに落葉した公園に、
およそ250本のカエデがきれいに色づき紅葉が楽しめます。


じゃらんネットより
そして帰路につきます、
この長々と書いていた旅も終わり、日常へ戻ります、
最後までお付き合いしてくださった方々ありがとうございます!
この旅をしたのが、8月末、
そして、台風が来た、大きな風と水が日本を二回も襲った、
幸せと思っているはずだった日常は、当たり前と思ってはいけなかった、
毎日、朝を迎えてくれる日常という時間軸、
今年は、台風の当たり年なんて罰当たりな時間軸、
大宇宙の営みの中にある地球の時間軸、
人がルーティンと思い時間を制覇したかのように勘違いしているのだろう、
それはあたかも、大宇宙の営みの中では、
ほんの、一粒一滴の水、瞬きで風を起こしたに過ぎない、、、
日常という人の思い上がった傲りなのか、
あれから数ヶ月、テレビのニュースも入れ替わってしまった、
東日本大震災を経験してからというもの、
自然の災害、被災が起こると、
なにも出来ないしない自分に、胸がざわざわとする、
俯瞰しかできない苛立ち、、、
今、というものにしがみついて生きていなければ、
この身を投じてしまうであろう、
この今を生きて行く日常が、欲しくて生きているのだけれど、、、
復興は進んでいるのであろうか?
帰宅する迄が、旅、
道中、寄り道もまた楽し、、、

途中、カミさんが寄りたい所あると、
この辺に諏訪大社があるから、御参りしていきたいという事で、
雨の中、、、
諏訪大社←公式サイト

長野県中央の諏訪湖を挟んで、以下の二社四宮の境内が鎮座する。
上社 (かみしゃ)
本宮 (ほんみや)(長野県諏訪市中洲宮山)
前宮 (まえみや)(長野県茅野市宮川)
下社 (しもしゃ)
秋宮 (あきみや)(長野県諏訪郡下諏訪町武居)
春宮 (はるみや)(長野県諏訪郡下諏訪町下ノ原)
上社は諏訪湖南岸、下社は北岸に位置し遠く離れているため、実質的には別の神社となっている。
なお「上社・下社」とあるが社格に序列はない。
創建の年代は不明だが、日本最古の神社の1つといわれるほど古くから存在する。
『梁塵秘抄』に「関より東の軍神、鹿島、香取、諏訪の宮」と謡われているように軍神として崇敬された。
また中世に狩猟神事を執り行っていたことから、狩猟・漁業の守護祈願でも知られる。
社殿の四隅に御柱(おんばしら)と呼ぶ木柱が立っているほか、社殿の配置にも独特の形を備えている。
社殿は多数が重要文化財に指定されているほか、6年に一度(7年目に一度)催される御柱祭で知られる。
Wikipediaより抜粋
そしてそこからも近し、
一昨年も来た、諏訪高島城
もちろん、100名城スタンプ目的
入城してからの捺印、少し城内見学仕方なく、よろしく、

高島城は別名「浮城」とも呼ばれ、
400年ほど前の慶長3年、豊臣秀吉の家臣「日根野織部高吉」により築城され、
諏訪氏の居城としてその威容と要害堅固を誇ってきた。
高島城は諏訪氏の居城として知られ、
諏訪湖に突き出した水城で、日本三大湖城のひとつに数えられている。
地盤が悪かったためか、天守をはじめ主要な建物の屋根が瓦葺きではなく杮葺き。
また、城内に温泉が引かれていた珍しい城で、
導水管やそれを支える石枡が残っているということ。
現在は高島公園として整備されており、復興天守が建てられており、
最上階からの眺望は素晴らしく、眼下に諏訪湖が広がり、
天候がよければ富士山を見ることができます。
30分ほどでここを後に、
近くにもう一つお城があるというので、
雨の中、
そして次なる目的地、高遠城へ
息子曰く、近くにと言ってましたが、
何せ平面上の地図の距離感、
この山超えてその先なので、
全然近くではなかった、

うっそうと茂る、森の中にあるこの城跡
もののけが顏を出しそうな、息をひそめこちらをうかがっているようで、、、

独り訪れていた女性に出くわした、
その人はまだ二十代であろう、こんな山奥の城跡に興味を持つとは
高遠城は諏訪氏一門の高遠頼継の居城として知られていますが、
武田信玄によって攻め取られ、
武田氏にとって高遠城は信濃への進出拠点として、
後年には織田氏・徳川氏に対する重要な軍事拠点として重要視され、
信玄は山本勘助に大規模な改築を命じ、
秋山信友、武田勝頼、武田信廉(逍遙軒)、仁科盛信と武田氏の重臣や
一族が城主を務めました。
江戸時代には高遠藩の藩庁となり、内藤清枚などが城主を務めました。
現在は石垣や空堀などが残されており、国の史跡、日本100名城に選ばれています。
明治4年(1871年)の廃藩置県で、城が取り壊され、明治8年(1875年)に公園となりました。
高遠藩の旧藩士達が「桜の馬場」から桜を移植したことにより、
今では全国でも有数の桜の名所、
本丸の老木はこの時植えられたもので、
4月には、130年生以上の古木20本、50年生以上のもの500本などに
若木を加えた約1,500本のタカトオコヒガンザクラが、
淡紅色で小ぶりの花を枝いっぱいにつけます。
また、秋にはタカトオコヒガンザクラ独特のほとんど紅葉せずに落葉した公園に、
およそ250本のカエデがきれいに色づき紅葉が楽しめます。


じゃらんネットより
そして帰路につきます、
この長々と書いていた旅も終わり、日常へ戻ります、
最後までお付き合いしてくださった方々ありがとうございます!
この旅をしたのが、8月末、
そして、台風が来た、大きな風と水が日本を二回も襲った、
幸せと思っているはずだった日常は、当たり前と思ってはいけなかった、
毎日、朝を迎えてくれる日常という時間軸、
今年は、台風の当たり年なんて罰当たりな時間軸、
大宇宙の営みの中にある地球の時間軸、
人がルーティンと思い時間を制覇したかのように勘違いしているのだろう、
それはあたかも、大宇宙の営みの中では、
ほんの、一粒一滴の水、瞬きで風を起こしたに過ぎない、、、
日常という人の思い上がった傲りなのか、
あれから数ヶ月、テレビのニュースも入れ替わってしまった、
東日本大震災を経験してからというもの、
自然の災害、被災が起こると、
なにも出来ないしない自分に、胸がざわざわとする、
俯瞰しかできない苛立ち、、、
今、というものにしがみついて生きていなければ、
この身を投じてしまうであろう、
この今を生きて行く日常が、欲しくて生きているのだけれど、、、
復興は進んでいるのであろうか?
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