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脳内汚染 本文から・・・

自我理想の形成不全

対象関係の発達と並んで、四歳頃から顕著になっていく重要な課程は、
親や身近な大人への同一化と、自我理想の発達である。

有史以前から、子どもは、この時期になると母親の膝元を離れ、
世界へと乗り出してきた。
同世代の子どもたちと遊び、父親や年長者に連れられて、
新しい体験の場へと出向くのだ。

ところが、現代の子供たちでは、この時期になると、
メディアとの接触が急速に存在感を増していく。
子供が自ら進んで求める場合モあれば、親や大人の方から与える場合もある。

親や大人たちは、自分で子供の相手をする代わりに、
メディアに子供の相手をしてもらおうとする。

本を読んだり話を聞かせるよりも、ビデオを見せたほうが
手っ取り早いし、子供も喜ぶ。
外で身体を使って遊ぶ相手をするよりも、ゲームをさせておいた方が、
親も休日をのんびり過ごせるし、子供も機嫌がいい。
教師さえ、自分で教える代わりに、ビデオを見せてすまそうとする。
そのほうが上手に教えてくれるし、子供たちも退屈しない。
それで、一体何が悪いのだ?

 かつての子供たちなら、現実の存在と接し、話を交わし、
行動をともにすることで費やしていた時間を、現代の子どもたちは、
画面の中の存在や仮想の遊びを相手に時間を費やすことになる。
これが、「豊かさ」というものなのだろうか。

人生を決定付けるといっても過言ではない、自我理想の原型を形作る
この段階において、子どもたちは身近な現実の存在ではなく、
メディアの中の存在をモデルとして取り込むのである。
この年代の子が、目を皿のようにしてどういう番組を見ているか、
また、どういう存在が、この年代のの子供たちのヒーローやヒロインに
なっているかを考えれば、彼らが何を人生の最初の手本として
心に焼き付けているかが明らかになる。

 それは、父親や母親ではない架空の存在である。
超人的な戦闘能力で敵をなぎ倒すヒーローであったり、
魔法の力で、なんでも思い通りにしてしまう便利な存在であったり
おもしろいことを言ったり、ふざけたりする存在だろう。
 
 この段階の幼い心は、現実の父親や母親より、そうした存在を
はるかに魅力的で、すばらしい存在だと感じる。
現実の存在などそっちのけで画面にかじりつくのである。
大人たちは子どもが喜んでいるからいいだろうぐらいに気軽に考える。

なぜ現代の子どもたちが父親や母親に対して、尊敬や親しみさえ抱かず
まるで異物に対するような目をむけて平然としているのか、
冷静に暴力をふるうことさえ、へいきでしてしまえるのかの、
もっと根本的な原因が、この年代のメディアとの付き合いに
潜んでいる可能性がある。

 マンガやアニメの主人公、映画やドラマの俳優のようなパーフェクトな存在に
理想を求め過ぎれば、現実の存在はあまりにも不完全な存在である。
自我理想の形成に失敗した人達は、現実の存在に対しては、
相手の不完全な部分にばかり注意を向け、否定的でシニカルな見方を
しがちなのに対して、作られた幻の存在には、
いとも簡単に騙されてしまうのである。


脳内汚染脳内汚染
(2005/12)
岡田 尊司

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